與那覇潤

実際、日本史でいうと中世の年代に当たる宋朝以降の中国の国内秩序と、現在賛否両論の「グローバリズム」の国際秩序は、すごく似ていて。よく言えば徹底的な競争社会、悪く言うと弱肉強食の格差社会で、形式的には「平等」な条件で自由競争していることになってるにもかかわらず、実態としては猛烈な権力の「一極化」や富の偏在が起きている。そういう中国=グローバル社会のあり方を受け入れるか否か、で国論が二分されたから、日本は中世のあいだはものすごい内戦状態だったんだけど、結局、「受け入れない」という結論を出したおかげで、近世にはピタリと平和になって…。 (江戸時代の「徳川文明」ができたと。いわゆる「国民性」とか「日本らしさ」のようなものはこの時、「中国化」の影響力を脱することで初めてできたんだ、という点を本書は強調していますよね。それがあまりにも居心地がよかったので…) 心のふるさとになってしまって、疲れるといつもそこに帰りたがる。自分の本では「再江戸時代化」という言葉で表現している部分です。明治維新で産業革命をやってガバッと競争社会にしたけど、「昭和維新」では農本主義で農村を救えとか、ブロック経済で雇用を守れとかで、ガチガチの国家統制に戻しちゃう。戦後も高度成長でガンガン人口が都市に出てきて根無し草になると、田中角栄の国土の均衡ある発展とか、竹下登のふるさと創生事業とかで、やっぱり『古き良き地方社会』のイメージを守ろうとする。小泉改革であれだけ規制緩和だ自由競争だと言ってたのに、彼が首相を辞めたらあれよあれよという間に昭和ブームが起きちゃって、「やっぱり、ちょっとくらい不自由でも我慢しあって生きてくのが日本人だよ」みたいな。これは結局、中世の頃に「中華文明」を取り入れかけたんだけど、結局それについていけなくて別の道を選んだ、日本文明というものの体質の表れなんです、よくも悪くも。